『進撃の巨人 The Final Season』 完結編(前編)

FEEL

ああやっと完結……と思ったら今回は前編のみで、後編は秋とのこと。早く終わってほしい(苦しくて仕方ないから)。

観ながらずっと思っていたのは「このアニメ本当に面白いな」です。
リアタイではなく配信で観たため3話に分かれていて、強制的に間が空く瞬間ができます。
それなのに、集中力が一切途切れない。常に「先を観たい」と思わせられた。なんとトイレすら我慢しようとしてたもんね。さすがに自分がかわいそうなので行きましたけど。それくらい面白かった。

前にFate/HFを観に行ったときに、面白すぎてそのとき観ていたアニメをいくつか切ったのですが(なぜあまり面白くないのに観続けているのかとハッとして)、今回も同じ現象が起こりました。面白いアニメってのは、こういうのなんだよなぁという気づきが定期的に起こる。

うまく項目立てられるかわからないんですが、要素を絞って感想書いてみます。
もちろんネタバレです。

ハンジさん

今回、ハンジさんの勇姿が描かれます。
泣きましたけど、死そのものではなく、ハンジさんの覚悟や周りの人たちの想いのほうに私は反応した気がする。

ハンジさんは完全に「自分はここで生き切る」「ここでみんなを未来に送り出すことが自分のやりたいことだ」というスタンスだった。死にに行くって感じじゃなくて。その姿にやっぱり“閃光のように”(@ダイ大)を感じました。

周りはそれを理解したうえで、それでも襲い来る“仲間の死”の悲しみと対峙していました。
兵長の「心臓をささげろ」よかったですね。すごい“初めて”をハンジさんは最後にもらったんだと思う。

今の日本と進撃世界では、状況がまったく違います。
今、ハンジさんの選択に「こんなこと絶対にできない」と私たちが思うのは当然でしょう。
彼女が命をささげることを生き切ることだと決断したのは、あの状況ありきなのです。

他に選択肢があるのに安易に命をささげる自己犠牲型の人を私はあまり好きになれませんが(そういうのを描く作品も)、選択肢が無い状況でポジティブな解釈で命をささげることは、人間の憧れの一つなのかなと思います。
そうでなければ、煉獄さん(@鬼滅)にあんなに人気が出るわけがない。命を燃やす姿に、みんなグッと来たわけだから。
死の恐怖よりも、自分の住む世界の未来を守りたい意志のほうが勝る。だから死んだとしてもそれこそが自分の喜びだと感じる。「死を超越する」というところも、憧れなのかなぁ。不老不死を求める心と対極にある、もう一つの憧れというか。

自分がハンジさんの立場だったとして、ああやって雄々しく出ていくかどうかを考えてみたのですが、ハンジさんの精神も価値観も全部持っていたら、やっぱり出ていくだろうなって思うんです。
そういうのを考えることができるのが、二次元の醍醐味だなって思います。この体験は、現実世界ではできない。

そしてね、そんなふうに「自分がこのキャラだったら確かにこうする」をちゃんと体現してくれるのが進撃。物語がキャラクターを裏切らないんですよ。ストーリーのためにキャラクターが曲げられることがない。だからこれだけ人が死んでも、私はこの作品に惹かれるんだと思う(好きな作品ではないが)。
今回、アルミンやジャンやライナーやコニーの発言にも各キャラの人間性がめちゃくちゃ出ていた。同じ結論に達していても、そこに至る道のりが違うの、よくわかった。

リヴァイ兵長

獣の巨人は自分がやるから協力してくれって兵長が言ったとき、グッときました。

彼にとって獣の巨人って、エルヴィンの仇なんですよね。守れなかったという後悔がたぶん兵長の中にはずっとある。「獣の巨人を倒すためなら何でもする」はおろか「人に協力を請うこともする」んです。

兵長ってたぶん、一人で生きてきたと思い込んでいた人だと思います。
自分一人の力ではどうにもならない状況を経験し、エルヴィンを失い、きっと価値観が変わった。

それがよくわかるセリフだったなと思います。
彼の中の熱さもわかる。

生き残ってほしいなぁ兵長……ただ獣の巨人を倒すためだけにあの死線を超えたんじゃないと思いたい。

価値観の衝突

今回、エレンと対話しようとするアルミンたち側の思惑が打ち砕かれます。
説得ではエレンは動かない。皆殺しをやめない。

ここで、アルミンたちが最終的にどうするのかが本当に楽しみです。
なぜなら私にもどうしたらいいのかわからないから。「こうすればいいんじゃない?」「どうせこうなるんでしょ?」を簡単に挙げられない。
エレンの心がぎゅうぎゅうに固められているのがよくわかるんですよ。
そして、少なくともアルミンとミカサはエレンを殺したいとは思っていない。

対話は無意味なのか? 暴力でしか解決できないことがあるのか?

問いをこのように変えると、無意味じゃないし、暴力でしか解決できないことはないとするのが二次元だと私は思う。その希望を二次元が捨てるのは、私にとってはあり得ない。その希望を示し続けることこそがフィクションの役割だと、私は思うから。

でも進撃ではどうするのだろうと、すごく興味あります。
最後まで観たとき「これが進撃の答えか。間違いない」と思えると嬉しい。たとえ私の信念とは違っていたとしても。

モブの人たち

皆殺しされていく人たちに、思いを馳せました。
この人たちは果たして生き切ったんだろうかって。
生き残った人が、それでもいるんだろうかって。
この状況下で生き残ることの過酷さも考えた。

自分がここにいたら、何を思うだろう、も。

巨人が襲ってくるって、圧倒的恐怖だけれど、ものすごい体験でもあるなぁって気がしていて。
というか、誰しもが“巨人”という存在を無視して生きている世界なんだよなぁっていうのも考えます。
壁の中の人たちを迫害することを、無意識のうちに選択している人たちです。もちろん上の世代から受け継いだ価値観ではあるけれど、「迫害していい人間がいる」を受け入れている人たちなんですよ。

そう考えるとね、自分たちが迫害される側に回ることだってありうるって私は思います。
いざそのときが来たときに「いやだ」は通用しない気がする。
もし自分が巨人たちに踏みつぶされる人なのだとしたら、「そうか、自分はそういう価値観をもっていたんだな」って、死の瞬間に気づけるといいなぁ。



今書けるのはこんなところでしょうか。書きながら気づいたこともいくつかあって楽しかったです。
あとはもう後編を待つばかり。ほんとにつらいので早く終わってくれ……

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